ありがとう、またね。

2011年!始まりました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて この新しき年、ワタクシは思い切り風邪と戦う日々から始まりました。久々にひいた風邪は主に喉にきまして、咳が止まらないという状態に。そんな状態を少しでも良くしようとジタバタしながら今日という日に備えました。
今日は友達の告別式でした。
昨年の暮れ、病魔との長きに渡る激闘の末、新たな冒険の旅に出て行ってしまった彼女。思えば知り合ってから人生の半分以上が過ぎていました。
同じ趣味を介して知り合った私たちでしたが、お互いの時間が合わなくなり だんだんと疎遠になって音信不通な時期もありました。それでも、間にいた友達が双方と繋がっていてくれていたこともあり、私がmixiを始めてけっこうすぐにマイミクになりました。それ以来、なかなかリアルに会う事は出来なかったけど、主にネットを通じて日々お互いの様子を知り合う仲でありました。
再会した時には すでに病魔との戦いに果敢に挑んでいた彼女でしたが、昔からの仲間達の他にも沢山の友達に囲まれて、私の視点からだと 病気の事などふとした時に忘れてしまうくらい楽しそうに暮らしていました。私にも事あるごとにコメントをくれたり アプリに誘ってくれたりして、彼女の優しさは心地よく、そんな彼女の日々をネット上で垣間見るのはとても楽しかったし、あっという間に自然な事になっていました。
そして いざ病魔が暴れだした時でも、彼女は克明な記録を示してくれたので 一緒に戦っている気がしていました。1回だけ病室までお見舞いに行かせてもらいましたが、大変な病気にも関わらず 明るい笑顔で迎えてくれて、ずいぶんと話し込んでしまったものでした。
そんな彼女の病魔との戦いも昨年末に終結しました。そして、新しいステージに、1人で先に行ってしまいました。
前日3日に行われたお通夜は、あまりの咳のひどさに出席をキャンセルさせていただいたのですが、彼女の人柄が忍ばれる、温かい良いお通夜だったそうです。
そして告別式。会場に着いた早々 受付で私宛の年賀状渡されて、そこでもう泣きのスイッチが入っちゃう始末。なんでも、生前に出してくれたのに住所不明で帰ってきたのだそう。いや、私 彼女に「ウチ、今年喪中だから年賀状はいいよぅ」みたいに伝えておいたので年賀状来ないと思っていたから、本当に不意打ち。とても文章なんて読めないから、しっかりしまって式に臨みました。
式は無宗教葬で、彼女の好きだったゲームミュージックをBGMに流して行われました。正面向かって右側に親族の席、左側に一般会葬者の席が作られ、最初から最後までしっかり参加させていただきました。
読経が無くてお焼香は有り。友人代表から故人への言葉もあり、始終涙をすする音がしていました。本当に多くの人に愛された彼女でした。でも、彼女も みんなを愛していたんだよね。そんな事をぼんやりと思っていました。彼女の優しさ、明るさ、温かさを改めて思い知らされた良い式でした。
斎場と火葬場が隣だったこともあり、ちゃんと拾骨もさせていただきました。元々出棺を見送ったら帰るつもりでいたので、次の所用のため精進落としは断念して先に帰らせていただきましたが、おかげで久しぶりに会った友達と話をする時間も持ててありがたかったです。彼女の旦那さまのiPhoneに入れてあった彼女のデジカメのデータを見させていただいたのですが、やっぱり可愛い。溢れる笑顔が彼女の幸せを伝えてくれて、それはそれで嬉しかったなぁ。
さて、こまめの私のブログをチェックしてくださっている方はお気づきでしょうが、この日記は4日当日には書いておりません。正月休みが終わって通常の仕事が始まって、だけど、彼女が残してくれたものは変わらずに私の生活の中にあって、それを見るにつけてチクッと寂しさが突き刺さります。たぶん、彼女を失った悲しみや寂しさは、今でも十分に感じていますが、だんだんと日を重ねるにつれて より積み重なっていくでしょう。
でも、なんか彼女は本当に「次のステージに行っちゃった」感じなんです。ちゃんと遺体も見て、お骨も拾って、それでもなお そんな気分です。たぶん、告別式のBGMと彼女の棺に旅のお供を入れてあげたせい。そして、告別式当日の空が見事なまでに青く澄み切っていて、この空なら飛んでいっても気持ちよかろう……とか思ったりもしたから。
これから毎年 年末年始の晴れ渡った日には、彼女の事をもれなく思い出すでしょう。
向こうでも楽しく暮らしてくれてると良いなぁ。そっちでまた会いましょうね。
約束だよ、チョッキ〜☆